都内の一人暮らし

一人暮らしの生活。生きていて思ったことを書いています

 

過去のことがすべて過去にある

今の私とは違うと思える。いろいろなことをしたと思う。すごいと思うこともしている。なにもしていないこともある

私は何も変わっていない。わたしはわたしなのだ。

人生にはケーキやカフェラテが必要だ

カフェに行ったら人間観察ができて楽しい

セボンの窓際の席は最高だ

新しく買ったニューバランスの白を街に馴染ませたい

ストーブの光だけがある部屋で、膝を抱えてうずくまってていても、誰にも関係がない

隣の家の犬が吠えている

大声で吠えることができる、犬になりたい

やっとすこし人生が回り始めた気がする。

数ヶ月前までは、散歩中にカモを見ると、カモの生活が一番いいんじゃないかな、カモになりたかった。とか思っていたけど、

今日カモを見たら、カモはカモで大変そうだし、人間は大変だけど、楽しみも少しはあるしいいかもなと思った。

 

近所のカフェに行きたいなと思ったり、行きたいライブがあるか調べたり、音楽を聴いたりするのがまたすこし楽しくなってきた。

 


春のおかげかもしれないし、少しは過去にけじめをつけられたからかもしれないし、些細なことで、心情って大きく変わるんだと思った。

そう思うと少し怖いけれど、そういうことも気づけたと思えば、前よりはましだろう。

 

 

まあ、そんなこと言ってると、人生は山あり谷ありなわけで、また谷が来るのが怖くなるが、今の私は、前とは少しは違うはず。

バーサーカーチートも、波を乗りこなす考え方も手に入れたと思うから、谷は谷でも、緩やかなものになるといいと思っている。

 

 

 

 

 

桜満開の日曜日

いつもは空いてる公園に来たら、親子連れや犬連れの人たちがたくさんレジャーシートを敷いてピクニックをしている。

おにぎりの匂いがした。

 


一人で来てもそんなに楽しくないなと思った。

おいしいクリームソーダが飲みたいと思った。

 

 

 

 

 

 

好意を向けられると逃げたくなるのはなぜなのか

 

好意を寄せてくる異性に違和感を感じるのは、勝手に理想の女の子像を押し付けられている気がするからだ。

私はそんな人ではないし、そんな目で見てこないでほしいと思ってしまう。

何においても、期待を少しでもされるのが無理なのかもしれない。

期待に応えなければいけないという自分の認知の歪みがある。

 


無意識下で安易に、そして勝手に、相手の理想像を想像してしまう。

もしかしたら、相手は何も考えていないかもしれないし、私の思考のさらに奥を見ているのかもしれない。

 


私が対人の場面で、取り繕ってしまっているのが、良くないのかもしれない。

しかし、私は私らしく自由に行動して会話をして、自由にやりたいことをしているつもりだ。

だけど、いろいろなことを考え過ぎてしまっているのかもしれない。

 


つまりは、相手の頭の中を勝手に想像してしまっているのは自分だ。

そして、言われたわけでもないのに、勝手に期待と責任を感じてしまって、勝手に気まずくなるんだ。

 

AIに聞いたところ、簡潔に言うとこう言うことになるらしい。

1. 誰かから好意を感じる(幻想だとしても)

2. この人は私をこういう人だと思っているんだろう、と想像する

3. でも私はそんな人じゃない

4. その期待には応えられない

5. 申し訳ない / 気まずい

6. 距離を取りたくなる


これは心理学ではわりと有名な癖で、マインドリーディング(心の読みすぎ)と呼ばれるらしい。

すべては自分の頭の中だけで起こっていることだ。


しかし、恋愛は実際、お互いに誤解しながら始まるものでもある。

また、人が誰かを好きになる責任は、その人にある。

結局は自分は自分でいるだけでいいということらしい。

 


私は自分の認知が歪んでいることを理解した。

 

 

通勤電車の絶望

 

東京の通勤電車が苦手だ。

 

みんな顔が死んでいて、みんな黒い格好をしていて、各々がスマホで動画を見たり、ゲームをしたりしている。

その光景を見ていると、何のために働くのかわからなくなる。

なぜ、この労働電車の一員になって、死んだ顔で1日労働して、また労働電車で帰ってこなければいけないのか。

労働電車に乗り、顔は死んでいても、心は死んでいない人はすごい。

どうやっているのか。

 

私は一人暮らしだからだ。最近ハマっているものがないからだ。

見たくない世界など、見ずに遮断すればいいんだ。しかし、これを続けて一体何になるのか。

何で働くのか。

 

昼、働いている人がいない街はとっても平和だと思う。

昼、犬の散歩をしている人は何者なのだろうか。

どうしてそんなに恵まれているのだろうか、と思う。

 

 

うみべの女の子みたいな女の子に憧れるし、なりたいけど、私はうみべの女の子みたいな女の子じゃないんだよ。

君はうみべの女の子みたいな女の子が好きなんでしょ?

私を好きになっても、私はあなたの思う女の子じゃないんだよ。

私は、フランス映画が好きな女の子に憧れているだけで、フランス映画が好きな女の子じゃないんだよ。


フランス映画が好きな女の子って、

静かに物思いにふけってて、

誰ともつるまず、

古着が似合って、

喫茶店でタバコ吸って、

恋の話になると急に哲学的になって、

みたいな「象徴」

そんな女の子って存在しない。

いるとしたら、それは見たいところだけ見てるだけ。

現実の自分は、

気づいたらYouTube見てるし、ずっとスマホいじって、電車では態度悪くて、家で発狂するし、ずっと寝転がってる。ちゃんとしたご飯を食べてなくて、部屋が汚い。そんな自分がちょっと嫌なんだけど、自分に甘いから、よしとしているの。

 

 

虚無だから感情日記

最近、感情を失っているなと感じている。

心から笑うことがなくなった。楽しいと思うことがなくなった。

ずっと見ていたお笑いと映画を見なくなった。

友達と遊んでいてもなかなか笑えない。

何を食べてもおいしいと思わなくなった。

 


客観的に素敵な瞬間だと思うことはある。(夕陽に照らされている街や雲を見たときとか)

しかしそれも振り幅が小さい気がする。

 


どうしようかなと思ったから、今日の感情日記を書いてみる。

 


今日楽しかったことは、引っ越してきてから初めて近所のスーパーに行ったら、日用品や服のフロアもある広いスーパーだったこと。

これは楽しかったではなく、嬉しかった感情か。

楽しかったことは、今日はなかった。

 


今日嫌だったことは、明日仕事があるのが無理だなあって思っていること。

 


やっぱり思いついた。今日楽しかったことは、ポッドキャストで、上坂あゆ美さんの「私より先に丁寧に暮らすな」を聴き始めて、とても面白いこと。

これも楽しかったではなく、嬉しかったことか。でも、聴いているときは面白いと思っていて、楽しんで聴いているから、やっぱり今日あった楽しかったことは、ポッドキャストを聴いたことか。